熊川宿

更新日:2022年03月31日

見どころ

権現神社 ごんげんじんじゃ

木々に囲まれた社が奥に建っており、手前に石造の鳥居と権現神社と書かれた石柱が建っている写真

上ノ町の上側にある、熊川では権現さんと称される社です。 昔、上ノ町では、道の表面に白い石が出ると、村に火災や水害が起きたことがありました。そこで、村人が相談してお社を建てて、 その白い石をお祀りすることになったのが、この神社のいわれであるとされています。 鳥居額には、「火防・水雨神社」と銘があり、この神社の性格を表しているようです。

子守り岩

古い家屋の前にとても大きく、どっしりとした岩がありその前には木製の看板が建てられている写真

この上ノ町の大きな岩ではよく子どもたちが遊びますが、けがをしたことがないそうです。
そして、権現さんと関係がある岩であるとの話もあります。

旧逸見勘兵衛家

白壁に、黒い瓦の玄関に茶色い暖簾のかかった農家民宿の写真

伊藤竹之助翁(伊藤忠商事二代目社長)の生家で、熊川を代表する町家の一つということで、主家、土蔵、庭が、平成7年1月に、町指定の文化財となりました。その後、平成7~9年の3カ年をかけて、吉田桂二先生の設計により修理が行われ、熊川の新しく快適な住居のあり様を提示すべくモデルハウスとして、また農家民宿として生まれ変わりました。

宿泊予約電話番号:080-6359-0808

宿場館

手前に屋根のついた手押しポンプ式の井戸があり、奥に2階建ての古い洋館風の建物が写っている写真

熊川の逸見勘兵衛家出身で、伊藤忠商事二代目社長となった伊藤竹之助翁(旧姓逸見)が、昭和15年に熊川村役場として建てた建物です。熊川の歴史の厚みを感じさせてくれる建物で、熊川宿と鯖街道の歴史を見せてくれる資料館として、生まれ変わりました。1階には熊川ゆかりの古文書の展示や鯖街道についての説明がされています。2階には江戸時代からの特産品葛粉精製の道具や古い店の看板や古地図が展示されています。入館には高校生以上は200円が必要。中学生以下は無料となります。毎週月曜日が休館日です。

電話番号 0770-62-0330

白石神社

しめ縄のかけられた大きな石製の鳥居があり、その向こうには小さな木製の看板や賽銭箱が置かれている、両側には古い家屋の写っている写真

熊川地区の氏神であり、往古、伊勢より勧請すといわれ、また若狭の乎入谷(遠敷谷)より勧請すとも記されていました。旧指定村社で、祭神は、彦火々出見尊、白髭明神、小浜藩主酒井忠勝公、山の神が合祀されているということです。

熊川城跡

熊川城跡とその周辺を表した地図の画像

若狭と近江の国境、西山嶽から北東に延びる標高185mの稜線上にある山城で、足利将軍の側近として活躍した沼田氏が築きました。麓の白石神社は城郭の一部と考えられています。永禄8年(1565)、三好・松永の軍勢が将軍義輝を襲った際、熊川城も攻撃を受けています。

得法寺 とくほうじ

数段の手すりのついた階段の先に大きく立派な門が写っている写真

元亀元年(1570年)に、織田信長は秀吉と家康をも従え、越前朝倉義景を攻めるため、京都から熊川を通り 敦賀へ向かいました。 このとき徳川家康は得法寺に泊まったといわれ、このとき境内の松に腰をかけたのが、 今も束の隅に残る松の木であるとされており、「家康の腰掛の松」と呼ばれています。

松木神社

木々に囲まれ日差しが射す中、石畳の先に数段の階段があり、古い少し小さなお社が建っている様子の写真

熊川の中ノ町の南側には松木神社があります。これは、若狭の義民松木庄左衛門が祀られている神社です。この神社は、昭和8年に建てられたもので、境内には昭和10年に庄左衛門の遺徳を顕彰するために建てられた義民館があります。石柱の「松木神社」の文字は、頭山満の書であります。また、不思議な因縁がありますが、ここ松木神社境内は、元小浜藩の米蔵のあったところです。蔵12棟を建て年貢米3万俵を収納していたということです。

倉見屋荻野家住宅

瓦は黒く、一階の外壁は木で覆われ、2階の窓は小さい古い2階建ての日本家屋の写真

熊川宿の中ほどに位置し、代々人馬継立を行う問屋を営んでいました。主屋は、文化8年(1811)頃に建設された熊川宿最古の町家です。主屋に隣接し、街道に面して建つ荷蔵や、敷地を縦に貫く石敷の通路などは問屋の構えを良く残しており、物資流通で栄えた熊川宿を象徴する貴重な建物です。

西山稲荷神社

森の中斜面に建てられた木製の赤い鳥居と、その奥にある数段の階段を登ったところにある小さな赤いお社の写真

下ノ町から山の中腹まで登ったところに西山稲荷神社があります。伏見のお稲荷さんを勧請したといわれ、創建は江戸時代中期頃まではさかのぼれると言われています。商売繁盛の神様として厚い信仰を受け、春と秋のお祭りのなか、特に秋には「おひたき」という行事が行われています。

孝子与七(こうしよしち)の碑

オレンジの花が供えられた苔むした孝子与七碑と書かれた石碑とその横に木製の看板が建っている様子の写真

下ノ町の入り口、街道の山手に小さな石碑があります。今から300年程前、貧しい暮らしの与七とその妻は、自分たちは貧しいものを食べても、父母には、御馳走を食べさせて孝行のかぎりを尽くしました。時の小浜藩主は、与七の行いを聞くに及んで、米数俵を与えて、その志をほめたことが「若州良民伝」にも出ています。時に、亨保6年(1721)のことなり、とあります。この碑は、明治45年に村の有志が建てたものです。

この記事に関するお問い合わせ先

観光商工課
電話番号 0770-45-9111

メールフォームからのお問い合わせ