上中古墳群[国指定]

更新日:2022年03月31日

田んぼと道路に挟まれた所にある緑で覆われた十善の森古墳の写真

十善の森古墳

内容

若狭町の古墳

若狭の前方後円墳は現在17基が確認されています。
西塚古墳・上ノ塚古墳・中塚古墳・上船塚古墳・下船塚古墳の5基は、昭和10年(1935年)に国の史跡に指定されています。
中国や朝鮮半島から渡ってきた出土品も数多くあります。出土品は下記リンクの若狭町歴史文化館で展示公開しています。

他にもいくつか石室が露出した円墳が散見できます。

若狭町の古墳

向山1号墳

堤・下吉田の向山尾根上に所在します。昭和62年・63年(1987年・1988年)の2カ年にわたり調査が行われ、前方部へ開口する本州最古期の横穴式石室を有する前方後円墳であることが判明しました。これは、北部九州の横穴式石室にその系譜がたどれるものです。
全長約48.6メートル、後円部径30.6メートル・高さ4.8メートル前方部幅27.4メートル・高さ3.8メートルを測ります。また、前方部にも武器・武具のみを納めた副葬施設が確認されました。
5世紀中ごろに造られた古墳と考えられます。

(注釈)出土品は若狭町歴史文化館で展示公開中

全景

上方:後円部横穴式石室
下方:前方部武器副葬施設

土の中から見つかった上方にに石室、下方に副葬施設が確認できる写真

金製垂飾付耳飾

金色の丸かんから鎖が伸び間に3個の装飾玉があり一番下にしずく型を逆にした金色の装飾がついている金製垂飾付耳飾の写真

脇袋古墳群

古い記録によれば、かつて七つの塚が存在したということです。現在では、その内、主軸をほぼ南北にした3基の前方後円墳、主軸を東西にした前方後円墳の糠塚古墳、埴輪と茸石を備えた帆立貝式古墳の脇袋丸山塚古墳などが残っています。古墳群の背後に、膳部山という標高約200メートルの山がひかえ、若狭の国造膳臣(くにのみやつこ)との縁を今に伝えているといわれています。

上ノ塚古墳(昭和10年(1935年)国指定史跡)

全長約100メートル、後円部径約64メートル、前方部長約48メートルを測り、3段築成で、前方部を北に向けた、若狭地方最大の前方後円墳です。原形を極めてよくとどめており、かつての周濠の存在も確認できます。
4世紀末から5世紀前葉に造られた古墳です。

(注釈)出土品は若狭町歴史文化館で展示公開中

中塚古墳(昭和10年(1935年)国指定史跡)

宅地内に所在し、全長約70メートル、後円部約46メートル、前方部幅約60メートルと考えられています。

西塚古墳(昭和10年(1935年)国指定史跡)

全長約74メートル、後円部径39メートル、前方部幅47メートル、高さは前方部が後円部よりやや低くなると推定される前方部を南に向けた前方後円墳です。前方部は大正5年(1916)に土取りされてほとんどが失われています。
5世紀後葉に造られたこの古墳の被葬者は、日本書紀の記載と出土品の符合から、膳臣斑鳩(かしわでのおみいかるが)その人ではないかとされています。

(注釈)出土品は若狭町歴史文化館で展示公開中

日笠松塚古墳

平成元年・2年(1989年・1990年)の調査により、地山を掘り残して造った陸橋をもつ直径約19メートルの円墳であることが判明しました。墳丘は古い時代に削平されており、周溝の中からは多量の埴輪や木柱列を発見することができました。
6世紀前半に造られた古墳と考えられます。

(注釈)出土品は若狭町歴史文化館で展示公開中

灰色の地面に陸橋および周溝が検出されている場所に白い印が形取られている日笠松塚古墳の写真

陸橋および周溝検出状況(北方より) 

天徳寺古墳群

前方後円墳の十善の森古墳、円墳の丸山塚古墳・上高野古墳が主な古墳としてあげられます。この他、石室を有した古墳がいくつか確認されています。

十善の森古墳

全長約67メートル、後円部径約43メートル、前方部幅約45メートルを測る前方部を西に向けた前方後円墳です。前方部と後円部にそれぞれ横穴式石室をもちます。
6世紀前葉に造られた古墳と考えられます。

(注釈)出土品は若狭町歴史文化館で展示公開中

田んぼと道路に挟まれた所にある緑で覆われた天徳寺古墳群の写真

北方上空からのぞむ

左は山という漢字に似ている形で金色の網目状に模様が折り重なって作られている金銅製冠帽 [復元複製]の写真、右は金銅でできた亀の形に似ている鉄地金銅張双竜文鈴付鏡板の写真

左:金銅製冠帽 [復元複製] 右:鉄地金銅張双竜文鈴付鏡板

上高野古墳

3メートルをこえる大きな天井石が露出しており、石室石材の観察からは、極めて大型の横穴式石室をもつ円墳であったと考えられます。造られた時期は、丸山塚古墳より半世紀ちかく後と思われます。

緑の細い竹が生えている間に石室の天井岩が露出している上高野古墳の写真

露出した石室の天井岩 

丸山塚古墳(昭和30年(1955年)町指定史跡)

平地に造られた直径約50メートルの大円墳でした。が、昭和28年(1953年)の水害復旧作業の土採りのため、その偉容を今は見ることはできません。古墳の規模と副葬品からは大首長墓と考えられ、若狭においては他地方の大首長墓より早い時期に、前方後円墳から円墳に形が変わったということがいえます。さら畿内系横穴式石室をもつことからも、大和政権とのより密接な関係がうかがわれます。
6世紀中ごろに造られた古墳と考えられます。

(注釈)出土品は若狭町歴史文化館で展示公開中

大きい岩が重ねられて作られている横穴式石室の入り口の写真

横穴式石室 玄室奥より玄門をのぞむ

大谷古墳(昭和63年(1988年)町指定史跡)

下タ中字大谷の標高140メートルの尾根の中腹に所在する、直径約22メートルの円墳です。
6世紀中ごろに造られた古墳と考えられます。

(注釈)出土品は若狭町歴史文化館で展示公開中

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